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大石内蔵助の辞世の句

大石内蔵助

大石内蔵助 享年45

 

生誕 1659年(万治2年)
死没 1703年3月20日(元禄16年2月4日)

 

主君の浅野内匠頭より大石内蔵助の方が有名かも...。 

 

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人物年表

1659年(万治2年)
大石良昭の長男として生まれる。

 

1673年(延宝元年)
父良昭が亡くなり祖父の良鉄の養子になる。

 

1677年(延宝5年)
祖父良鉄が死去。赤穂藩の家老見習いになる。

 

1679年(延宝7年)
21歳で正式な筆頭家老になる。

 

1701年(元禄14年)
主君浅野長矩が松の廊下で刃傷沙汰を起こす。
主君浅野長矩切腹。浅野家お家断絶。

 

1702年(元禄15年)
吉良邸討ち入り。

 

1703年(元禄16年)
切腹。享年45。

どんな人物だったか・死に至った経緯

 物静かで飾り気のない性格で、内面は厚く人望があった。身長は157cm程度で小柄。
浅野家家臣は、お家再興優先派と仇討ち優先派(江戸急進派)の2つに分裂しそうになるのを頑張って回避。
内蔵助本人はお家再興に力を入れていたが、お家再興は絶望的になり討ち入りを決意。
その間、まわりの目を欺く為に遊びほうけていたのは有名な話。
でも、もともと自由気ままな性格の遊び人だったので、本当に楽しんでいた時もあるようです。
そして、吉良邸に討ち入り、見事仇討ち完遂。
その後、吉良の首級(しゅきゅう)を亡き主君の墓前に供え仇討ちを報告。
翌年切腹 享年45 法名・忠誠院刃空浄剣居士

辞世の句

 

「あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」

 

これが辞世の句とされているが上記は主君長矩の墓に対してのもので、実際には次が辞世の句と言われる。

 

「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」

個人的な所感

 「あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
の方は、言葉は適切ではないかもしれませんが、いわば目標を達成し晴れ晴れとした心情がよく分かります。

 

 そしてもう一つの、
「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」
は、いざ死を前にして、討ち入りをした四十七人に主君長矩を足した四十八人で天へと向かう落ち着いた雰囲気を感じます。
あなたはどのように感じましたか?

 

 

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