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永峰 肇の辞世の句

永峰肇

永峰 肇  享年19

 

生誕 1925年4月1日 死没 1944年10月25日

 

最終階級 海軍曹長

 

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辞世の句

 

「南溟に たとえこの身が 果つるとも いくとせ後の 春を想へば」

人物年表

1925年(大正14年)
4月1日 宮城県の貧しい農家に長男として生まれる。

 

1942年(昭和17年)
5月 佐世保第二海兵団へ入る。

 

8月 駆逐艦「初春」へ乗り組む。

 

12月1日 三重海軍航空隊へ入隊(丙飛15期)。

 

1943年(昭和18年)
3月27日 谷田部海軍航空隊(第31期飛行練習生)。

 

9月20日 徳島海軍航空隊(戦闘機専修)。

 

1944年(昭和19年)
1月29日 築城海軍航空隊。

 

2月11日 南方方面へ派遣。

 

10月25日 神風攻撃隊敷島隊四番機として出撃、散華。享年19。

どんな人物だったか・死に至った経緯

 貧しい農家の長男として学費をかけず勉強し、地元では優秀な子として知られていた。
当時の中学校は五年制だったが、中学三年を終えた時に狭き門だった予科練を受験し、これに見事合格。
上記のように訓練を経て、1944年10月20日にルソン島マバラカット基地から出撃するが敵アメリカ艦隊を発見できず帰還。

 

 その後24日まで悪天候などで引き返し帰還。25日に護衛空母「セント・ロー」を発見し撃沈。

 

 後述の辞世の句は、25日以前に出撃し生還した際に整備兵が戦闘機の中に彫られているのを発見し紙に写し取ったもの。
永峰は生前、検閲の入る手紙や日記を書いていなかったので、これを辞世の句として整備兵が永峰の両親へ送った。

個人的な所感

 自分はこの辞世の句を知った時、とても心を打たれました。壮絶な覚悟を今でも感じます。
決して僕は戦争賛成論者ではなく、今を生きる平和ボケな日本人の若者です。
ですが、この辞世の句を知って今の日本をこの方がどう思うか気になります。
僕はこの辞世の句を一生忘れる事はないでしょう。
あなたは何を思いましたか?

 

 

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